花 鳥 風 月 2

「ところで先程雅信様が、人が心配するような恋をするとおっしゃいましたが重信様はいかな恋をしておられるのですか?」

 氷晶はすいっと話の矛先を重信に向ける。

「諸事が手に付かなくなるという事を『恋』とするのでありましたら、確かにあれは『恋』だったのでしょう。」

 自分に集められた視線の中で、重信は思わせ振りな言葉と共に目を伏せる。先程氷晶をひやかした公達が何事かを言いたそうにしていたが、隣の者が脇腹を小突いたので黙ってしまった。少々居心地の悪そうな氷晶に視線を合わせ、重信は続ける。

「月は、誰のものではありませぬ。そして私はその人にとっての闇にはなれませぬ。雲になる事も出来ませぬ。その輝きを失うのであれば、その輝きを愛でているだけでいい。そう思うのですよ。」

「それで構わないのですか?」

 そう尋ねてくる氷晶に対し、重信は黙る。が、やがて口を開いた。

「その程度と思われるのは嫌ですが、手に入れるのが最上の方法とは思えないのです。」

 水掛け論にも似た重信と氷晶のやり取りを傍らで聞いていた博雅は、いつに無く重信が遠い存在のように感じられた。そして思う。自分にもこのような『恋』が出来るのかと。楽を愛する心とはまた何が違うのかと。もしそうなったら、自分は一体どうなってしまうのか。

「・・・・・恐怖心、やもしれぬなぁ。」

 思わず本音を漏らした博雅に、再び視線が集中する。博雅は今度はその視線に気が付くことなく、頭を抱えるようにして考え込んでしまう。 

「双方共若いとはいえ、重信殿は氷晶殿に比べて大人しい。これは性格に因しているのであろうな。しかしながら重信殿。」

 博雅が発した言葉を継ぐように、既婚の公達らから重信へ異口同音に恋の助言が為される。その様子を雅信は苦笑しつつ眺め、考え込んで自分の世界にはまり込んでいる博雅を、現実の世界に引き戻した。博雅自身は何が起こったのか分からず、雅信から説明を受け、曖昧な返事を返す。雅信は相変わらずだな。と言ってまた苦笑した。



 二日後、博雅は供を二人連れてくだんの寺院を訪れていた。供の一人に馬を任せ、もう一人の供と共に寺院へと続く階段を上っていた。始めは微かだった和琴わごんの音が、近づく寺院から流れてくるものと分かった博雅の足はどんどん速くなっていった。葉月も後半に入り少しばかり涼しくなったとはいえ、動くとそこそこ汗ばむ陽気の中、従う供の者は半ば小走りするように主の後を追っていった。

 本来なら自分がする筈の役も全て博雅がしてしまい、供の者は驚いた坊主に謝った。それから程無くして住職自ら案内あないを務め、二人は本堂の脇に通された。

 冷たい水が出され、博雅は二口ばかり口をつけると単刀直入に話を切り出した。が、住職は納経の日爾来度々内裏の使いとして氷晶の家人なるものが来たので、特にお話しすることはない筈だとやんわりと返した。すると博雅は住職が氷晶の家人に何を話したかを尋ねた。

 初回は氷晶自らがやって来て、自分が見初めた相手が誰であるかを聞いてきた。と住職は語る。生憎その日は目当てが不在だった為引き下がったのだが、次の日からほぼ毎日のように家人がやってきては尋ねてくるので、もう滞在していない旨を伝え、いつまたここに立ち寄るか分からないことを伝えたのが昨日だった。と言って住職は口をつぐんだ。

「これはすまないことをした。あと、私は氷晶殿に乞われた訳ではありません。」

 女人は愚か稚児までも入山出来ないことになっているここで、何故女人がいたのか。それを尋ねに来たと住職に弁解した。恐らく他言出来ない事情があるに違いないだろうから、自らやってきたと付け加えた。そして自分の供を一瞥すると、席を外して先に戻っているように伝えた。

 供の者が去り、他の僧侶に連れられていくのを見送った後、博雅は改めて住職と向き合った。住職は観念したのか、厳重に他言しないよう頼み込み、重い口を開いた。

「本当はまだ滞在しており、今和琴を引いているのがその者にございます。あと女性にょしょうではございませぬ。剃髪をしていない僧、つまり男聖おとこひじりでございます。」

 この場にお呼びしましょうか?と問うてきた住職に対し、博雅はその者がいる場所まで案内をして欲しいと返した。

「畏れ多きことにございます。」

 そう言って、住職は表に出てゆっくりと歩み始めた。

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